[PD治療失敗雑記その7]2018年から2019年になっても変わらない悪夢
ゲームは魔物。
姿かたちを変え、時代を超えても変わらない吸引力。
2018年を終え、2019年になり少し経ちましたが相変わらずのやまね こねこです。
今年もよろしくお願いいたします。
ゲームの話を書くと言ったような気がしますが、記事は下書きに書き始めがあってまだ完成していません。
そう思えば、2018年はそれを記事にするのを怠りました。
[PD治療失敗雑記その6.5]として早めに更新したいと思います。
だいたい総括と今後の話題が始まりの記事内容になりますが、このカテゴリーでは毎日が苦しみと寂しさで逃げ出したい365日を書けというもの。
まぁ書き出しますとこんな感じでしょうか。
結局書くのかい!というツッコミはなしでお願いします。
声を出したり笑ったりすると怒られる
自分の声は気分が高揚すると大きく高くなるので、それがキーキー声に聴こえるのだそうです。
正直、今の若い女性声優さんの声のほうが一オクターブは高いし、もっとキーキー声に聴こえるのですが、今のテレビまんが(母親は未だにそう言います)を見ていないので、その声がどんなに高いか知りません。
娘の声はまだましなのがわかるのに、興味がないものを見せても数秒でテレビを変えてしまうほどの『お姫様(お袋様でもなく家長でもない、自分視点で生きている女性)』な母親なので仕方ありません。
母親は何が好きなのか、未だにわかりません。
なお現在はほとんど声を出さないように生活しています。
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会話の不協和音
父親とは共有する事柄や興味ある共通点があるので、会話をしています。
母親はそれを嫉妬します。
「お父さんとはよく話してるね。私なんていなくていいんだわ」
理由は明白。
母親と共有する事柄や興味ある共通点が全くなく、母親独自の視点での話題しか出てこないので会話が成り立たないのです。
全く関連性を持たない自分にとって、他人の話題をされて自分には何のメリットもないし共通項もない。
話題が母親自身から離れると、母親自身全く興味がないので話を自分側に引き寄せて勝手に変えてしまう。
会話がかみ合わないので、「ありがとう」と言いたい時があったとしても何を言っても違う話題にすり替えられた上に自慢ぶる言いぶりも発揮。
自分が自分であり続けるための術だったのかもしれませんが、家族であり続けることは正直してこなかったように感じます。
『もう子どもが大人になっていてもおかしくないのに』
これは普段からの母親の口癖です。
いつか両親はいなくなるのは分かっています。
その時自分は生きていられるのか、という話で現時点では甘えているのを理解し、社会復帰へのモチベーションが戻るのか、前に進めるのか常に考えています。
突破口が見つからない日々で辛い。
無理に動くことも可能ですがパニック症がまさに障害になっていて平行線のまま。
圧倒的にコミュニケーション能力が乏しく、せっかく繋がりができてもちょっとしたきっかけでいきなり口を聞いてくれなくなったり無視されることが多いです。
これは子どもの頃からなので、そういう生き方しかできない人間なんだと思います…
ただこの言葉は、一番堪えるというより怒りを覚えます。
何故自分が人間不信が強く、両親ですら触れられるのを嫌うのか。
母親はその『何故』に未だに気づいていません。
病気についても、すでに医師から説明を受けたとしても未だに理解していません。
兄も『心が弱かった時期があった』とか言っていたようですが、投薬や認知治療をするまで脳が墜ちたわけではないでしょう。
父親は感づいているのか、そういうことは何も言いません。
「自分でやりたいことをすればいい。病気が良くなって生活(仕事を含む)できるようになればいい」
子どもの頃からそう言い怒ったりしません。
これが2018年の総括です。
これしかないのが現実です。
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今後について
まずは家族の面倒を見ろ、というのが兄からの『命令』。
しかし当家の男たちはみな長命。
女たちも母方の祖母も93歳で他界、父方の祖母は60代で亡くなっていますが曾祖母の病は父を経由して私が受け継いだっぽいですけど、現代医学で何とか生きている感じです。
母親もそろそろ免許返納も考えるほどの年齢に。
ただ、会話がかみ合わない同士が部屋にいるだけでもかなり辛い。
「ここは私の城。どこにいても独りごとを言っても私の世界だから、私の言葉を聞いていればいいのよ」
これが日常です。
今の状態で仕事を見つけて早く社会復帰しろと兄は言います。
言われなくても重々この身にグサグサと突き刺さるほど理解しています。
『働かざるを食うべからず』
でも、働ける年齢はもちろん移動できる範囲が限られているため、パニック症の予期不安と発作との戦いも加味する必要不可欠(再三書いてますが父親以外の家族は病気に理解がありません)。
そう思うと都心から田舎に引っ越したのは失敗だったし、何よりもリストラされた時点で父親(は尊敬できるほど人間ができているのです)に相談すべきだったと後悔の念。
はじまりから間違っていたのです。
それから人生100年なんて長すぎて、社会復帰が人間として認識される証ならば、早くいなくなってしまいたい衝動に駆られながら生きています。
30代後半で社会から2度もはじき出され、年齢制限で会社員もパート採用もならず、別の病気発症もストレスが原因で、結局のところ脳が壊れてから生きるのが難しくなって、それまでの付き合いもこれまでと、みんな離れていってしまいました。
付き合いを続けたいと思うことすらおこがましいのでしょう。
なんて恥ずかしい人間なんだと自分をずっと責め続けている。
新たな道を見つけるまで、ずっとあがき続ける。
これが2019年になるのだと思います。
追記
繰り返し文が多いのは悪い傾向です。
きちんと推敲して読みやすい文章をもっと修行しないといけないと思いました。
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