[PD治療失敗雑記その1]PD(パニック障害・パニック症候群)に心が折れそうな日々

私がPD(パニック障害)を発症してから15年になる。
最初は大発作の後、薬も少量ながらも少しずつ良い方向に向かっていたが仕事関係でいろいろありうつ症状と併発するようになった。
二度の休職の末、円満退社…ならぬリストラされた。
三年ゆったり治していった中、資金が尽きかけた。
パートを探していた時、会社員時代にある人物を介して知り合いになったゲーム開発会社の社長さんから声がかかり、仕事をいただいた。
その仕事は『失敗』を迎え、かつ業務委託の契約を結んでいなかったのとろくな仕事を成さなかったので『お手伝い』となったけれど、請求金額は約1年かけて支払われた。
資金がすぐに尽き、さらに時に遅し。再びPDとうつ症状は揺り戻された。
家賃も滞り、都下にある実家に戻ることになった。
初めはゆっくり治療しながら都心の医院へ通っていたが、去年、頭から内臓から悲鳴が出るほど体が動けなくなった。救急車にも乗った。
検査をしたが結果は機能性胃腸症。これも原因はストレス。つまり脳の状況が起因である。
今もストレスで吐き気がすぐに起き、都心の医院へ通えなくなったため市内の病院へ移り、次第に乗り物の前に立つと吐き気と脳がユラユラし移動できなくなってしまった。
他に子宮筋腫を抱えて通院を重ねているが、子宮と腸が癒着しており安易に手術、というわけにはいかない状態。
20代の頃小腸からの出血により、すべての腸を出して切除して体に戻す手術を行っておりそれが起因ではないかと医師からの説明を受けた。
その癒着によって他の箇所への病気併発を懸念され手術を断られた。
さらに「手術をしたいなら他の病院を探してください(紹介の『しょ』の字もなかった)」と言われた。
何故手術を求めたかというと、最初に大パニックを起こした日は、月経二日目で出血も多く腹痛にも見舞われた暑い日。
血の気も減って力を出なく脳にモヤモヤした中、冷房の効いた電車と暑いホームとの乗り降りを繰り返した中、電車の中で倒れた。
だからこそもうすぐ必要のない子宮を切除して少しでも不安定な日々から解放されたかった。
叶わない現実、それが今の現状だ。

元ZUNTATAのコンポーザーで作曲家の土屋昇平さんのブログでPD(パニック障害・パニック症候群)持ちだということを知った。
現在は復帰に向けて寛解しつつあるようで何よりです。

なんとか復職できるイメージが湧く位回復してきました。寛解までは行かなかったですが、寛解に近い所までは持っていけた感じです。ある程度回復してきて、苦手でない所なら簡単に行けるようになってきた時に、私はい

どう症状と戦いつつ認知治療をしているのか書かれていて、思ったことは「いい医者に出会うこと」「認知治療がしやすい環境にいること」。
正直羨ましいと思った。
都心にいた頃は「いい医師に出会えた」し「認知治療をしやすかった」。
ショッピングをしたり、映画を観たり、ゲーセンへ行ったり、コミックマーケットへも行っていた。
でも今は違う。
「鉄腕DASH!」で東京の田舎として紹介された場所である。
ここから行きたい場所へ行くとしたら『朝早く出る、夜早く出る』が必須になる。

昔はもっと気楽に気持ちが切り替えられたり別の事を考えられたけれど(携帯ゲーム機もあったし)、今は切り替えられる気持ちも認知治療に掛けられる費用も捻出できないので、どこにも動けない。歩いて近くを移動することしかできない(実質精神科への通院は徒歩で40分以上かけて出かけている)。
もっと早く働けるうちに仕事を見つけて働いていたら、都心から離れることもなかったかもしれない(口約束は信じていけないものですね)。
もう諦めてしまいたい。とても辛い。どこにも行けないことがこんなにも悲しいなんて。

今後もこんな話をつらつらと続くのをお許しください。

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