[PD治療失敗雑記その5]苦い毒が全身を巡り転がり堕ちた
どうも、やまね こねこです。
今回はPD(パニック障害/パニック症)と関係してないようでしているかもしれないゲームの話です。
ゲームそのものの話ではなく、私の過去話からになります。
主柱が腐りきっていた大木
私はかつて約18年ほど大手ゲーム会社に在籍していました。
夏休み中にパニックを発症したことはその1で書いた通りです。
ある時から『ある事情』からうつ症状も併発するようになりました。
そして会社内の人事整理があり『病気』を理由にリストラされました。
辞める3年ほどがパニック症にとってもうつ症状も加速して地獄でした。
その3年の間に何があったのかについては個人情報漏洩となるため伏せます。
(本当は訴えたいくらいほどの事情があったのですが、当時はそこまで考えられるほど頭が回らない状況でしたし、『口止め』もされたり時間が経ってしまったので致し方ありません)
誰が私を壊したのか。
気づいていたのは面会(看護)室にいた常設看護師さんだけでした。
通勤時での悪いこと良いこと
会社通勤に電車を利用していましたが、行きも帰りも予期不安に怯える状態。
行きは始業時間の2~3時間前に出るような感じ。帰りも同様の時間がかかっていました。
車中で発症してしまったときは、混雑の車中でも周りに人がいなくなるパターンがほとんどでしたが、
乗客「大丈夫ですか?もしかして発作ですか?手を握っていますから大丈夫ですよ」
私「…ありがとう、ございます。次の駅で降りますからそれまで…お願いします」
乗客「気にしないでください。落ち着くまでこうしていますから」
私「ありがとうございます…」
駅を降りるまで優しく声をかけて続けてくれた方も少なからずいました。
瞬時の判断でパニクっている人間を対応する方々というのは、何らかで経験があるのか同じ症状を持つ方が身近にいるのか、それとも看護関連の仕事をされている方か、今となっては不思議な感じがします。
経験上、その場から人が波のように退いていくのが『平常』なのに、理解してくれる人や『話しかけてくれる』、『手を握ってくれる』、その行動を行ってくれる人がいるのだと思うだけで心が休まります。
仕事中の予期不安と発作の日々
いつ頃からか覚えていませんが、仕事中に予期不安もしくはパニックを起こすようになりました。
その間は頓服を飲んでトイレに入って震えを抑えたり、会議室に籠り寝転んで落ち着くのを待っていました。
周りは見て見ぬふりをしていたようでした。
事情がわかっていない(上司から封じられている)から誰も疑問を投げかけないし、こんな人に声をかける必然性なんて毎週の仕出し弁当代の回収ぐらいだな、と思っていたかどうかはわかりませんが私視点から見るとそう感じました。
もし今でも同じ状況にあるのなら、自死を選んだと思います。
それでもマニュアルを書くという職務を諦めたくなかった。辞めたくなかった。
今でも思う素直な本音です。
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道は続く、地獄のごとく
あまりにも滑稽すぎて、単なる思い違いじゃないのか。
相手に責任を押し付けて楽になりたいだけじゃないのか。
そう思うことはありますが、4、5年前までは『元凶』が毎日悪夢として出てきていました。
現在でもふと浅い眠りにつくと浮き出るごとく現れるときもあります。
以来、睡眠導入剤がなければ夜は眠れません。
誰かに話すべきだった、相談できる人が欲しかった。
家族に話しても病気そのものを理解してもらえていない現状。
しかも「過去を振り返っても意味ないから、そんなこといい加減忘れろ」と言われます。
いじめの経験もある私にとって心や脳、体に影響を及ぼしているのは事実で、振り返らなくてもすべて『傷』になってカサブタにすらならない。
むしろ家族が『傷』を深くえぐってくるのでどの口が言うのかなぁ。
担当医の先生も「早く離れて暮らしたほうがいいよ」と助言してくれるのですが、まずはPDをなんとか寛解間近まで近づけないと始まらない。
まずは何とか働けるところまで。
と、暗い過去話はここまでです。
その1で書いた大発作から期間があり、会社員時代で一番辛かった出来事をまとめてみました。
その後フリーランスの時期、とある仕事の会議で電車を使っていたのですが、大きめな発作が起きて先方の場所へ行けなくなってしまい、以来Skypeでの会議になってしまい迷惑をかけました。
作業はリモートワークで、作成・修正した原稿データをサーバにアップロードしてメールとSkypeでのやりとりだったので助かりましたが。
現在は優秀な人材が入社されたので、私の役目はそこで終わっていますし未だにその駅から先に電車は乗れません。
次回は、本当にゲームの話です。
ゲームで助けられたこと、ありませんか?
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