[PD治療失敗雑記その3]PDよりも辛く悲しい日々

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どうも、やまね こねこです。

冬に突入してから家族の調子が悪くなり、自分のPD(パニック障害/パニック症)とうつ症状どうこうの話ではなくなり、家族優先の日々の中『自分を保つこと』をできる限り最優先にしようと努力しています。
けれど、家族と会話をするとカッとなって喧嘩腰になったりイライラが募って部屋に籠ったりしまいます。
それがうつ症状に悪影響を及ぼして、時折涙を流したり悪夢を見たりするなどいろいろあって現在に至ります。

「もう普通に結婚して子どももいたりする年齢なんだから」

家族に事あるごとに言われます。
私は物心ついた頃から人間や生き物が苦手で、家族でさえ触られるのが今でも苦手です。
一時期ODをしていた頃があり(今もその衝動がなくなったわけではない)、その時家族が止めようと抱きしめるのがとても気持ち悪くて仕方がなかった。
他人なら尚更のこと。
性格は担当医には『真面目ですね』と言われるけれど(真面目だからこそうつ症状へと変異したわけで)、一言二言多くだんだん横柄になっていくので、仕事をする同僚や先輩、一緒に行なった人たちには嫌われ交流が断たれます。
いじめもずっと子どもの頃から社会人になってもありました。
何故そんな人型として存在するのか、自分でもわからない。
そんな自分が嫌いで仕方がない。生まれ落ちてからこのかた、自分が好きと感じたことがあまりないのでそれが遠因なのかもしれません。
友だちもほとんどいない。記憶から消去する。本当に少ない。
親切な友だちが私を引っ張ってくれていると言ってもいい。その友だちたちとはこんなポンコツな自分を理解した上で交流してくれている。
本当にありがたいと思っています。

話はPDからそれました。元に戻します。
夜型になっているのも問題のひとつでもあるので、深夜できる限り早く眠るようにしています。
もちろん『乗り物に乗る』ことについても、相変わらず緊張しながらも「1駅でも」という気持ちでバスと電車に乗るように努力しています。
11月のがん検診では無事バスと電車を使って検診センターへ行き、検査もすることができました(結果は今年問題なし、でした)。
それが脳意識の中で1つの区切りになったのか、電車も20分は乗れるようになりました。もちろん、気分をそらすことを忘れないようにして。
たった20分?けれどPDを持つ自分にとっては喜ばしい20分。
何しろ立川まで行けるようになったのですから。
目標を立てて、そのために出かけると気持ちを強くしていくようにしています。
残念ながらモノレールには乗ることはまだ難しいようですが。

老々介護の両親がそれぞれで意識が飛んでいることが増え、物忘れが加速している気がして(伯父がそうなっていく過程を見ているため)「『物忘れ外来』へ行ったら?」と言ったら、父は『俺は物忘れてなんてしていない』と怒り出す。そう、それが前兆だったのを思い出したので余計に行って欲しくてたまらない。
数分前のことも忘れていることもあるのに、どこが物忘れしていないって。
一番割を食っているのは言ったことについて行動してくれている兄です。
テレビが壊れた→兄:新しいテレビを購入→父:何故テレビが変わった?
テレビがベッドから見えない→兄:その場で見られる液晶テレビを購入→父:そんなのいらないから片付けてくれ
そんな父でも昔のことになると弁が立ち、いろいろなことを話し出す。
ところが最近、父の大事にしていた書籍にえんぴつで謎の落書きがあることが判明。
…母も私ももうどうしたらいいのかわからない。ストレスで母の腫瘍もどきが本当に腫瘍に変異しそうで怖い。

そんなこんなが今の近況です。
自分の病気どうこうなんて言っていられないので、このシリーズは一旦落ち着くまで記事にはしません。

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