[PD治療失敗雑記その4]「場所だけじゃない、時間もだ」と思う瞬間
どうもです、やまね こねこです。
しばらく書かないと言っていたが、あれは嘘だ。
というわけで、PD以前の予期不安との戦いについて語りたくなったので久々に更新することにしました。
このカテゴリーを読んでいる皆様は同じ病にかかったことがある、もしくは現在症状に悩んでいるのでしょうか。
同じ悩みを抱えていて「あるある」と思うこと、「これは自分と違う」と思うこと、いろいろあります。
寛解に向けて、未だに前に進んだり後ずさりしたりを続けている日々を送っている私ですが、気持ちを吐き出す力が出てきたら更新しようと思っています。
最近の乗り物事情での話
現在、市内のバスには何とか乗った経験がある範囲では、予期不安を気にせずに乗ることができるようになりつつあります。
濁した言葉で書いていますが、100%乗れるというわけではなく乗れる確率が増えてきているといった感じです。
タイミングを見計らうときもありますが、『乗り物は怖くない』と気持ちを落ち着かせるようにしています。
しかし電車の場合は少し違います。
普段乗る機会がバスよりも少ないのが大きな原因ではありますが、乗れる区間と乗れない区間があるのです。
最寄り駅(福生駅)から東京方面へは乗ることはある程度可能になってきました。
無論体調が良いときや天候が安定しているとき、という条件付きにはなりますが。
遂に以前住んでいた街まで電車で行くことができました。
それだけで涙がこぼれてきます。
福生駅から東京方面までは短く2分、長くて3分。
普通ならスマートフォンのゲームをプレイしたりSNSを見ているだけで次の駅についてしまうので、不安感が出る直前で大きく息を吸ったりして踏みとどまること、そして降りるタイミングもすぐに訪れるので少しでも気が楽に感じられます。
ところが河辺駅から最寄り駅までの間は、未だに予期不安との戦いが続いています。
福生駅までの時間はわずか10分強。それなのに予期不安に襲われる。
理由としては1駅の間が長く感じていることにあります。
河辺駅と小作駅でも実は3分だったりするけれど、一度パニックを起こしたトラウマが未だに消えずに思い出してしまうのです。
電車のタラップ前で立ち止まったり、乗っても吐き気や冷や汗が出てしまいます。
一度か二度河辺駅から福生駅までで乗れたはずなのに、半年に一度しか乗らないこともあり(子宮筋腫の定期通院です)風景が見慣れなくて慌ててしまう、人もそんなに乗っていない(青梅駅が始発で山や神社からの下山者が多くいる)、時間の間隔が鈍る、知らない世界が見えるのが怖い、視界がゆがみスマートフォンも見られなくなって脳がパニックを起こしかける。
その繰り返し。
そして自分の中の長時間から解放されて電車を降りる。
小作駅で降りたとしても誰も迎えに来てはくれない(タクシーに乗れなくはないのですがお金がない)ので、街道を出て歩いて帰宅することもしばしば(その次の羽村駅なら徒歩で帰宅できる範囲)。
次の通院後に再び電車と対面です。
今度こそ落ち着いて乗れますように、自分でも止めることのできない症状から少しでも前に進みたいです。
頓服薬は持っていますが、それに頼り過ぎて錠剤の許容範囲を超えてしまいそうになるのが怖いです。
免許がない!
ここで疑問に思った方はいますでしょうか?
私は四輪免許(二輪でも同様)を持っていません。
何故なら免許を取る前にパニック症を発症してしまったからです。
てんかんと同じく、パニックが運転中に起きてしまったらという理由で免許取得をやめました。
乗り物に弱いのは子どもの頃からで、どこかへ出かける直前に熱を出したり腹痛を起こしたりしていました。
実際に外出の車中で腹痛が起こり、大便(しかも下痢気味)がしたくなってしまいました。
今のようにコンビニエンスストアがあってトイレ使用が可能な場所がある時代ではありませんでしたから、とにかく「我慢しろ」と言われながらトイレのある場所を探し回ってもらった記憶があります。
そう思うと現在のコンビニエンスストアでのトイレ使用はとても便利で助かります。
今でも乗り物に乗る前にトイレは欠かせませんし、気持ちを落ち着かせていないと家族の自動車でもパニックを起こしたこともあります。
そのときは身近な見慣れた場所に出たときには落ち着いたのですが、異様な発作行動に家族は驚きました。
驚きはしましたが、家族全員から未だにパニック症や統合失調症、うつ症状について理解がありません。
薬を飲んでいるので普通にしか見えない、という「あるある」パターンです。
家族から理解されないわけ
それは病人の優先順位が家族の中で一番下だからです。
父が大病をおかして下半身不随になり車椅子生活になりました。
死を何度も選んだ父だけれど、周りからの応援と支援で自宅に戻ってきました。
以来、自宅での介護生活に入り、去年のとあるきっかけ以来自力での行動が減ってきて少しずつ痩せて『生きる気持ち』がすり減ってきている感じです。
その介護をすべて母が担当し(無論看護師やリハビリ担当もきます)、衰えていく父の始末をパニくりながら辛そうにやっています。
私が関与すればいいと兄も言うのですが、結局母が行っています。
何もかもやらないといけないという強迫観念らしき部分を感じます。
私は両親から生まれた子どもなので、両親の世話をすること自体に抵抗はあまりありません。
他人を世話をしろと言われたらそれは難しいと応えるかもしれませんが。
サポートすべきであるとは思っていますが、私が薬や症状で動けないことが多く、さらに働いていないということが母や兄にとって怠慢な行為であると認識させられます。
家族では『精神異常者ではない普通』だと思い込んでいながら、その反面近所からは私の存在は消され、母からは家での出来事のあれこれを毎日毎日聞かされる日常。
機能性ディスペプシアと同様、ストレスがたまる一方で本当ならこの家から離れたい。
前に住んでいたところに戻りたい。
もっと言えば、さらにその前に住んでいたところに戻りたい、と思うときもあるほど。
それは両親も理解していて、「何故あの子はこんな風になってしまったのか」と後悔させてしまっています。
後悔させるほど私は悪いことをしてきたのだと戒めて、今は少しでも一歩進みたいです。
笑って暮らせる『日常』を目指して。
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